「AIには無理」と、言い切れるだろうか?
「AIにケアマネの仕事は奪えない」と言い切る人の気持ちはわかる。
でも、今私はそこに対して、少し慎重でいたい。
なぜなら、過去に「この仕事だけは機械には無理」と言われてきた仕事が、気がついたら半分くらい消えていた、という歴史を、人類は何度も見てきたからだ。
AGI(Artificial General Intelligence=人工汎用知能)は、これまでのAIとは根本的に違う。言語理解、推論、学習、判断などを横断して行い、人間のように幅広い課題へ柔軟に対応できるAIのこと。従来の特化型AIと異なり、未知の状況にも適応しながら、複合的な問題解決を目指す点に特徴がある。
特定のタスクに特化したAIではなく、人間のように文脈を跨いで学び、推論し、判断できる「強いAI」だ。まだ完全には実現していないが、その輪郭は少しずつ見えてきている。
だとしたら、近い将来——いや、すぐにでもケアマネとして正直に問い直しておく必要があると思う。私たちの仕事は、何でできているのか、と。
技術の波は、いつも「次」を連れてくる
18世紀後半、イギリスで産業革命が起きたとき、機械は人間の「体」を代替した。工場の労働者は職を失ったが、「頭を使う仕事」は残った。
コンピュータが普及したとき、事務職や計算業務が自動化された。それでも「人と話す仕事」「判断が必要な仕事」は残った。
インターネットが来たとき、情報の非対称性で食べていた仕事——旅行代理店、百科事典の販売員など「知っている人に頼む」という仕事は、様相が一変した。
そして今、ChatGPTやClaudeのような生成AIが世界に急速に広まっている。書類を書く、情報を整理する、記録を作る——ケアマネが毎日やってきた「頭仕事」の一部が、すでに自動化されつつある。
でも今回のAGIは、その先を行く。思考する。感情を模倣する。関係の文脈を長期間記憶する。利用者の発言・表情・生活パターンから、「この人が今、何を必要としているか」を推定する。24時間、休まず、怒らず、忘れずに。
技術的な話だけすれば、これはケアマネが「強み」と思ってきた領域にまで、はっきりと踏み込んでくる。
私たちの仕事は、何でできているのか
私たちの仕事を少し分解してみよう。
制度知識と情報統合——介護保険のしくみを把握し、医療・福祉・住宅・経済状況を横断的に見てケアプランを立てる。これは、AGIが最も得意とする領域だ。書類・記録作成も、すでにAIに侵食されている。数年後には「自分で書く」という行為自体がレアになるかもしれない。サービス事業所、病院、家族、行政の間に入る調整・交渉も、AGIはかなりの部分をカバーできるようになるだろう。
残るのは、関係性・信頼・存在感。ここだけが、まだわずかな自信が残る場所だ。
人の「不合理さ」の中に、その人がいる
ある利用者のことを思い出す。
90代の女性で、一人暮らし。医療的にはデイサービスを週2回程度通うのが「最適」だった。でも彼女は「行きたくない」と言い続けた。
アセスメントを重ね、話をしていくうちにわかってきたのは、「デイに行くと自分が"老人"になった気がする」という感覚だった。プライドの問題だった。生き方の問題だった。
そしてもう一つ、気づいたことがある。彼女のその「頑固さ」は、弱さではなかった。それは、90年以上生きてきた人間の、自己表現だった。
合理的な判断からすれば不利益な選択かもしれない。でも、その不合理さの中に、彼女のエネルギーがあった。生きようとする意志があった。
人はときに、傍から見れば愚かに映る選択をする。不健康とわかっていても好きなものを食べ続ける。無理だとわかっていても「まだ家にいたい」と言い張る。迷惑をかけたくないと言いながら、助けを拒む。
合理的には、説明がつかない。でもそのわからなさの中に、その人が長い時間をかけて作ってきた「生き方」が詰まっている。
AGIは最適解を出すのが極めて上手い。でもおそらく、人の不合理さを「排除すべきノイズ」として処理してしまう。そこに光を当てて、「それがあなたらしさだ」と言えるのは、人間だけだと思っている。
老いること、死ぬこと、誰かに頼ること。そういう場面でこそ、合理性では届かない部分がある。そこに、まだ大きな問いが残っている。
AGIが来たとき、分かれ道がある
正直なことを言うと、AGIが来たとき、ケアマネという職種は二極化すると私は思っている。
ひとつは、AGIに業務を渡してしまう人。記録はAIが書く、プランはAIが立てる、調整もAIに任せる。そして本人は確認のハンコを押すだけになる。「ケアマネ」という肩書きは残るが、専門職としての実態はかなり薄くなる。
もうひとつは、AGIを使いこなしながら、人としての関わりに専念する人。情報収集・記録・制度判断はAGIに任せ、その分だけ「利用者と向き合う時間」「家族と話す時間」「地域の人とつながる時間」が増える。AGIが出す提案を倫理的に審査し、「この人の人生にとって、本当にこれでいいのか」を問い続ける人。
どちらになるかは、技術の話ではなく、どう選ぶかという話だと思う。
今日からできる、3つの準備
AGIはまだ来ていない。でも、準備は今日から始められる。特別なことは何もない。
「なぜ自分はこう判断したのか」を言葉にしておく習慣。それだけでいいと思っている。AGIはケアプランを作れる。でも「なぜこのプランにしたのか」「この人のどんな価値観を大切にしたのか」を語れるのは、関わってきた人間だけだ。日々の支援の中に積み上がっていく文脈が、AGIには出せない。
それから、「その人らしさ」を丁寧に観察し続けること。好きな食べ物、昔の仕事、口癖、こだわり、恥ずかしいと思うこと。こういう情報はデータベースには乗りにくい。AGIが最適解を出したとき、「でも、この人はこういう人だから」と言えるかどうか。それが専門職の本領だと思う。
そして逆説的に聞こえるかもしれないけれど、今のうちにAIツールと仲良くなっておくこと。使いこなせない人は「AGIに使われる側」になる。使いこなせる人は「AGIを審査する側」になれる。書類作成でも情報収集でも、今から少しずつ手を動かしておくことが、そのまま準備になる。
AGIは、何かを取り戻す機会にもなりうる
「ケアマネが本当にやりたかった支援」を、AGIが取り戻してくれるかもしれない。
書類に追われて、モニタリングが形骸化して、「今月も同じプランで」と自分に言い聞かせた日が、きっとあったはずだ。もっとゆっくり話したかった。家族の言葉をちゃんと受け取りたかった。この人の人生をもっと知りたかった。
そういう時間が、AGIのおかげで戻ってくるかもしれない。
ケアマネという仕事は、ずっと試されてきた仕事だ。制度改正のたびに「本当に機能しているのか」と言われ、それでも現場の人たちは、数字にならない支援を続けてきた。その底力は、AGIが来ても変わらないと思う。
AGIは、ケアマネから「仕事」を奪うかもしれない。でも同時に、本来やりたかった「支援」を、取り戻す機会にもなりうる。
問われているのは、技術ではなく、姿勢だ。
