優しかった人から、辞めていった。
本当に、不思議なくらい同じ順番だった。利用者さんの小さな変化に一番早く気づいて、同僚のフォローも自然にできて、誰かが困っていれば「大丈夫?」と真っ先に声をかけられる人。現場にいると、「あの人がいれば安心だな」と思える存在。でも、そういう人ほど、ある日ふっといなくなる。
「家庭の事情で」「体調を崩して」「少し休みたくなって」 理由は色々語られるけれど、本当の理由は、もっと別のところにあった気がしてならない。
あの柔らかい笑顔の裏側で、彼らは何を削り、何に絶望していたのか。介護という仕事の美しさの裏側に隠された、残酷な構造について、今改めて言葉にしたいと思う。
「向いていなかった」という言葉の残酷さ
介護の世界では、人が辞めるとこんな言葉が出てきがちだ。
「あの人は、少し繊細すぎたのかもね」「この仕事、向いてなかったんじゃない?」「最近の人は、覚悟が足りないのかな」
残された側は、そう思わなければやっていられないのかもしれない。去った人を「弱かった」と定義することで、今も過酷な現場に立ち続ける自分たちの正当性を保とうとする。
でも、現場を知っている人なら、心のどこかで分かっているはずだ。辞めていったのは、間違いなく、この仕事に一番向いていた人たちだった。
彼らは、適当に手を抜くことができなかった。オムツ交換の際に、利用者の肌が少し赤くなっているのを見逃せなかった。忙しい時間帯であっても、寂しそうに遠くを見つめる背中に、一杯の温かいお茶を出すことを「無駄な時間」とは思えなかった。
我慢強くて、責任感があって、誰よりも「ちゃんとやろう」としていた人たち。彼らが去ったのは、覚悟が足りなかったからではない。むしろ、あまりにも誠実に、真正面から向き合いすぎたからだ。
報われない「気づき」が、心を削っていく
彼ら・彼女たちが消耗していった理由は、性格の問題ではない。もっと根深く、逃れがたい「構造」の問題だ。
介護の現場には、目に見えない「優しさの税金」のようなものが存在する。
1. 「気づける人」にだけ仕事が集まる構造
廊下の隅に落ちたゴミ、利用者さんのいつもと違う表情、同僚の疲れ。気づかなければ、仕事は増えない。でも、気づいてしまったら、放っておけない。その「気づき」は、本来ならケアの質として評価されるべきものだ。しかし現実には、気づいた人だけが動くことになり、その分の時間はどこからも補填されない。
2. 責任と裁量のアンバランス
「もっとこうしてあげたい」という優しい願いは、しばしば「マニュアルだから」「制度だから」「人員不足だから」という壁にぶつかる。責任感がある人ほど、その理想と現実のギャップを自分の努力で埋めようとする。自分を削って、時間を削って、心を削って、穴を埋めようとする。裁量がない中で、責任だけを背負わされれば、心はいつか悲鳴をあげる。
3. 「感情」を使い、数値で測られるジレンマ
介護は、これ以上ないほど「感情」を使い、相手の人生に触れる仕事だ。しかし、組織としての評価は、多くの場合「何分で終わらせたか」「事故なくこなしたか」という数字でしか測られない。心が通い合った瞬間の喜びよりも、効率を優先しなければならない構造の中で、彼らの誇りは少しずつ、削り取られていく。
優しさがそのまま、自分を追い詰める凶器になってしまう。
頑張る人ほど「もう少し、もう少し」と期待され、断れない人ほど重荷を抱え込む。そして限界が来たとき、周りは誰もそのSOSに気づけない。なぜなら、彼らは最後まで「優しく、頼りになる存在」であり続けようとしてしまうからだ。
辞めた人は「弱かった」のか?
だから、私はあえてこう言いたい。
辞めた人が弱かったんじゃない。辞めさせてしまう組織構造が、そこにあっただけだ。
現場に残っている私たちが、彼らより強いわけでもない。ただ、たまたま鈍感になれた瞬間があったのかもしれないし、たまたま限界のラインがもう少し先にあっただけかもしれない。
これは、特定の誰かを責める話ではない。現場のリーダーも、施設長も、制度を作る国の人たちも、みんなきっと必死だった。利用者さんのために、この場所を守るために、懸命に戦っていた。
でも、「必死」だけでは、人は守れない。根性論や精神論、あるいは「介護は愛だ」という美しい言葉で、構造の不備を塗りつぶしてはいけない。優しさが「損」になるような場所で、人は健やかであり続けることはできないのだ。
視点を変える、という生存戦略
あの日、何も言わずに去っていったあの人の後ろ姿を、今でも思い出す。私たちがすべきだったのは、「もっと頑張れ」と励ますことでも、「根性が足りない」と責めることでもなかった。
「もう十分、頑張ったね」と、その荷物を一緒に下ろすことだったはずだ。
もし今、この記事を読んでいるあなたが、「自分も、あの人みたいになるかもしれない」「もう、笑って現場に立つのが苦しい」と少しでも感じているなら。
どうか自分を責めないでほしい。それは、あなたが弱いからではない。あなたが、ちゃんと周りを見て、ちゃんと人の痛みを感じ取っている証拠だ。
介護という仕事において、その感性は最大の武器であり、何物にも代えがたい宝物だ。でも、その宝物があなた自身を傷つけているのなら、一度立ち止まって「見方」を変える必要がある。
自分を守ることは、逃げではない。自分が健やかでいられる「距離感」を探すことは、プロとしての立派な仕事だ。
幸せに働くために
「優しさ」を使い果たしてしまう前に。頑張り方を工夫するのではなく、まずはこの構造を俯瞰して見てほしい。あなたが抱えている重圧の正体は、あなたの内側にあるのではなく、あなたの外側にある「システム」のせいかもしれないのだ。
幸せに働くためには、がむしゃらな努力ではなく、"視点"が必要なときがある。自分が壊れてしまう前に、どうすればその優しさを自分自身にも向けてあげられるか。
私は、これからも、そのための視点を、少しずつ言葉にしていきたいと思っている。
去っていったあの人のように、これ以上誰かが、ひっそりと灯火を消してしまうことがないように。そして、今この瞬間も、誰かのために自分の心を削っているあなたが、明日も少しだけ楽に息ができるように。
答えはすぐには出ないかもしれないけれど。まずは、あなたがあなたの「優しさ」を誇れるように、発信を続けていこうと思う。
